川崎区の遺跡・史跡
川崎市川崎区の遺跡・史跡です。神社仏閣に関するものは、この中には含まれてません。
・川崎区の神社
・川崎区の寺院
・川崎区の石像・石塔
・川崎区の祠・小社
を参照下さい。
特に、川崎大師(平間寺)の境内には多くの有名な遺跡・史跡・名所がありますが、本記事には含まれてません。
著名な遺跡・史跡
その他の遺跡・史跡
川崎区の旧街道
・東海道
・大師道
芭蕉の句碑
マップ:川崎区日進町11-9
『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』 1694年に故郷伊賀に向かった松尾芭蕉は、見送りにきた弟子たちと川崎宿京口近くの茶屋で別れを惜しみ詠んだ句。
無縁塚
マップ:川崎区池田1-6-1(京浜急行「八丁畷駅」敷地内)
「八丁畷」付近では江戸時代以降多くの人骨が発見され、1934年に地元と川崎市によって供養塔が建てられた。
川崎区の二ヶ領用水遺構
・稲毛神社の小土呂橋遺構
・小土呂橋
・泉田二君功徳碑
・小泉次太夫像・墓
・若宮八幡宮江川堀の橋
・大藤橋遺構
川崎区の多摩川の渡し跡
・羽田の渡し
・大師の渡し
・六郷の渡し
川崎区の富士塚・浅間神社
・浅間神社(稲毛神社)
・浅間大神(川崎大師)
佐藤惣之助の碑
マップ:川崎区富士見1-1
川崎河港水門
マップ:川崎区港町6-1
1928年に川崎区を縦貫する大運河計画の一環として完成。社会情勢の変化から計画は中止されたが水門だけが残った。
アウマンの家
マップ:川崎区南渡田町1-1テクノハブイノベーション川崎(THINK)内
旧日本鋼管(株)の敷地内にある明治末年にドイツから招いた職工長アウグスト・アウマン氏らの宿舎として使われた木造モルタル造の建物。一度は取り壊された後に、記念資料館として復元された。
姥ヶ森弁財天と井戸
マップ:川崎区鋼管通3-3-13
鋼管通3丁目付近は姥ヶ森と呼ばれ、新田義貞寄進の馬場や御手洗池があったと伝わり、御手洗池の跡と伝えられる古井戸が今も残されている。
畑家墓所・頼政塚
マップ:川崎区小田1-20-25
鎌倉幕府を討ち滅ぼすために挙兵した新田義貞の4人の重臣の1人畑六郎左衛門時能の末裔とされる畑家一族の墓所が小田1丁目の住宅街の一角にある。墓所境内には、平家追討に立ち上がった源頼政の塚もある。
田中の寮(田辺家墓所)
マップ:川崎区小田2-18付近
小田進栄会商店街の道に面した路地の奥には、畑家とともに代々小田村の天領の名主をつとめた旧家・田辺一族の「田中の寮」と呼ばれる墓所がある。
川崎運河の遺構(京町緑地)
マップ:川崎区京町3-8
京町2~3丁目と横浜市鶴見区との境界付近に位置する京町緑地に1922年に京浜電気鉄道によって造成された川崎運河の遺構(防潮壁)が残っている。
旧橘樹郡役所跡
マップ:川崎区砂子2-10-6
2004年郡役所の川崎移転から90年、川崎市制80周年を記念して建立。
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