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川崎区の遺跡・史跡

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川崎区とことん散策記事目次

川崎市川崎区の遺跡・史跡です。神社仏閣に関するものは、この中には含まれてません。
川崎区の神社
川崎区の寺院
川崎区の石像・石塔・小堂
川崎区の祠・小社
を参照下さい。
特に、川崎大師(平間寺)の境内には多くの有名な遺跡・史跡・名所がありますが、本記事には含まれてません。

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羽田の渡し
川崎区殿町1-10
対岸は大田区羽田2-32
多摩川の最下流で現在の大師橋のやや下流にある。江戸時代後半に川崎大師詣が盛んになると川崎宿を経由せずに羽田から渡しを利用し直接川崎大師に行きました。
羽田の渡し跡

大師の渡し
川崎区大師河原1丁目
多摩川の渡し場の中で最も新しく、1877年に開設され、参詣客のために大師河原の中瀬と羽田の穴守稲荷とを30分で結ぶ大師の早船も就航するようになった。
大師の渡し碑

川崎河港水門
川崎区港町6-1
1928年に川崎区を縦貫する大運河計画の一環として完成。社会情勢の変化から計画は中止されたが水門だけが残った。
川崎河港水門

アウマンの家
川崎区南渡田町1-1テクノハブイノベーション川崎(THINK)内
旧日本鋼管(株)の敷地内にある明治末年にドイツから招いた職工長アウグスト・アウマン氏らの宿舎として使われた木造モルタル造の建物。一度は取り壊された後に、記念資料館として復元された。
アウマンの家

姥ヶ森弁財天と井戸
川崎区鋼管通3-3-13
鋼管通3丁目付近は姥ヶ森と呼ばれ、新田義貞寄進の馬場や御手洗池があったと伝わり、御手洗池の跡と伝えられる古井戸が今も残されている。
姥ヶ森弁財天

扇島身代わり地蔵尊
川崎区扇町12
1945年の川崎大空襲の際、多くの軍事関連工場があった扇町は激しい空爆にさらされ多くの犠牲者が出、1974年に戦災の供養、交通安全、工場の操業安全の祈願として市バス停昭和駅前近くの三角地に祀られている。
身代わり地蔵

小土呂橋
川崎区小川町
旧東街道にかかっていた二ヶ領用水新川堀の橋です。
小土呂橋

庚申塔と出羽三山巡拝碑
川崎区小田1-18
小田1丁目のかつて菅沢道と呼ばれた道沿いに佇む庚申塔と出羽三山の巡拝塔。
庚申塔

畑家墓所・頼政塚
川崎区小田1-20-25
鎌倉幕府を討ち滅ぼすために挙兵した新田義貞の4人の重臣の1人畑六郎左衛門時能の末裔とされる畑家一族の墓所が小田1丁目の住宅街の一角にある。墓所境内には、平家追討に立ち上がった源頼政の塚もある。
畑家墓所

田中の寮(田辺家墓所)
川崎区小田2-18付近
小田進栄会商店街の道に面した路地の奥には、畑家とともに代々小田村の天領の名主をつとめた旧家・田辺一族の「田中の寮」と呼ばれる墓所がある。
田中の寮

藤崎願掛け地蔵尊
川崎区藤崎3-6-9藤崎町内会館
天明の大飢饉をはじめとする異常気象や噴火などによる飢饉の犠牲者の霊を弔うとともに、災厄から救われることを願って建立。

藤崎願掛け地蔵尊

大藤橋遺構
川崎区藤崎4-15
二ヶ領用水の末端の支堀・大師堀(藤崎堀)は、六百代川となり、観音川に合流し、江戸湾へと注いでいた。六百代川の大島・藤崎の境界に大藤橋が架っていた。
大藤橋遺構

芭蕉の句碑
川崎区日進町11-9
『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』 1694年に故郷伊賀に向かった松尾芭蕉は、見送りにきた弟子たちと川崎宿京口近くの茶屋で別れを惜しみ詠んだ句。
芭蕉の句碑

御鷹橋遺構
川崎区田町2-8
二ヶ領用水末端の支流・江川堀に架けられていた「御鷹橋」の石製の橋板8枚が、かつての江川の流路跡の遊歩道に保存されている。

川崎運河の遺構(京町緑地)
川崎区京町3丁目
京町2~3丁目と横浜市鶴見区との境界付近に位置する京町緑地に1922年に京浜電気鉄道によって造成された川崎運河の遺構(防潮壁)が残っている。

無縁塚
川崎区池田1-6-1(京浜急行「八丁畷駅」敷地内)
「八丁畷」付近では江戸時代以降多くの人骨が発見され、1934年に地元と川崎市によって供養塔が建てられた。
無縁塚

六郷の渡し跡・万年跡
川崎区本町2丁目
宿場一の茶屋となった多摩川を渡って川崎宿に入ってすぐの場所にあった万年屋の跡地。
六郷の渡し
六郷の渡し

京口棒鼻跡
川崎市川崎区小川町
京都方面に向かう街道の宿場出入り口。
京口棒鼻跡

田中本陣跡
川崎区本町1-4-6
三軒あった本陣のうち、江戸側にあったことから「下本陣」とも呼ばれた。
田中本陣跡

内侍所奉安所跡
川崎区本町1丁目
明治元年10月12日、明治天皇は京都から東京に行事の際、田中本陣で昼食をとられ休息されました。
この際、内侍所は田中本陣のとなりの現在碑が建っているあたりに設けられました。
内侍所とは、神殿を奉安するための場所です。
内侍所奉安所跡

問屋場・高札場跡と中の本陣
川崎区砂子1-7-1付近
宿場の中心であり最も重要な施設だった「問屋場」や幕府や領主が決めた掟などを木の板に記して立てられる高札場の跡地。
中の本陣

旧橘樹郡役所跡
崎区砂子2-10-6
2004年郡役所の川崎移転から90年、川崎市制80周年を記念して建立。
旧橘樹郡役所跡

佐藤本陣跡・佐藤惣之助の碑
川崎区砂子2-11-1
川崎宿にあった三つの本陣の一つ。別名、惣左衛門本陣。
佐藤惣之助の碑

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