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川崎市麻生区の遺跡・史跡・名所

川崎市麻生区の遺跡・史跡・名所です。
 
神社仏閣に関するものは、この中には含まれてません。

早野横穴墓
川崎市麻生区早野聖地公園
古墳の説明(川崎市)
2017/2/1にいったら横穴付近は大規模の工事中で立ち入り禁止です。工事が終わるまで時間がかかりそうです。

子の神社古墳
川崎市麻生区早野65
社務所の建設で消滅
Hayanonenojinja
Nenokoshamusho

高石古墳
川崎市麻生区高石1-30/1-26
高石神社は麻生区高石1-31-1です。高石1-30と高石1-26と2つの場所が古墳跡といわれてますが、殆どが住宅地で、古墳らしきものは見つかりません。恐らく消滅していると思われます。
Yomiuri30

牛塚古墳
川崎市麻生区王禅寺東6-9
民家の裏庭に鳥居と祠があるようです。
当該住所の鳥居と祠があった場所
Ushitsukakofun

狐塚古墳
川崎市麻生区王禅寺東6-17

石橋供養塔
川崎市麻生区王禅寺230
江戸の末期王禅寺に住む青戸傳次郎の娘が、井戸に身を投げ死んでしまい、傳次郎は娘の供養にと石橋を造り、側に供養塔を建て冥福を祈った。

化粧面
川崎市麻生区王禅寺450
籠口の池の東谷戸にある江戸幕府の領地。徳川秀忠の御台所(崇源院)の化粧料として年貢を納めていた領地です。

下麻生古墳
川崎市麻生区下麻生2-20
籠口ノ池の西側にある果樹園の中にあったとされる古墳
消滅
当該住所に果樹園はありましたが、運よく所有者がおられたので聞いたら、果樹園の中に古墳があった記憶はないが、裏の住宅や山にあったとのことでした。
Shimoasoukofungun

下麻生亀井古墳群
川崎市麻生区上麻生7-38-4月読神社周辺
古墳の説明
・下麻生亀井1号墳:円墳(東参道を20m下った尾根先端付近)
Kamei1goufun
・下麻生亀井2号墳:円墳(東参道を下りすぐ右側竹林内)
Kamei2goufun
・下麻生亀井3号墳:円墳(南参道を25m下った左側)
左側は竹林で古墳らしきものは見当たりません。
Kamei3goufun
尚、右側は幼稚園の敷地ですが、この付近に小山みたいなものが2つありました。

亀井城址(亀井館)・亀井原(やさき橋)
川崎市麻生区上麻生180月読神社
鎌倉時代、月読神社に隣接する亀井原に弓の名人である亀井六郎重清が居住した館跡があったと伝えられいる。真光寺川の橋をねらって矢が見事に橋に立ったので、矢さき橋として現在も真光寺川に橋の名が残っている。
城の説明
Tsukiyomijinja

片平富士塚古墳
川崎市麻生区片平(町田市能ヶ谷7-30近辺)
日本政策投資銀行の鶴川運動場の2面ある野球場の北面の小山
古墳の説明
円墳
当該場所はJR東海の所有になってました。リニアの施設を作るそうです。
Katahirakofun

片平七堰記念碑
川崎市麻生区
片平の地を流れる片平川と麻生川の流域で、上流から亀井、大、金井原、仲、仲町、熊野及び麻生川の葉積の七つの堰があったが、片平川の改修に伴い姿を消し、各堰の堰跡を偲び片平中村通り公園に記念碑が建立された。

仲町遺跡
川崎市麻生区片平の公園内
縄文時代中期末の住居跡。

黒川東遺跡
麻生区黒川
営農団地造成時に発掘された。
広域の軌跡のようですが、稲城市坂浜地区では本格的遺跡調査は行われてません。
尚、この付近は大規模の宅地造成が行われてます。新たな出土品が出てくるものと思われます。
Kurokawaazuma
Kurokawaazuma1

丸山城址
よこやまの道付近の黒川配水場付近
Maruyamajou
Maruyamajou1

岡上廃寺跡
川崎市麻生区岡上東光院の南側の台地
阿部原(あべっぱら)と呼ばれている標高54mほどの台地から縄文土器、弥生土器の発掘とともに古代寺院に関連する遺物が採集された。

岡上丸山遺跡
川崎市麻生区岡上675岡上小学校内
岡上小学校の建設に伴い発掘調査が行われ、縄文時代から奈良・平安時代までの複数の時代にまたがる集落遺跡。

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